ら抜き

長崎の高速道路で、「でれません」というら抜き言葉の看板が立てられ、
市民からの指摘で、「でられません」に書き直したと言う事件(?)があったそうで。
個人的な見解としては、言葉はそもそも他人に何かを伝えるための手段ですから、
現在の文法では間違っていても、時間が経って大勢の人に広まればそれで
良いのではないかと思っています。まあ、何を持って「大勢に広まった」かどうかを
判断するかという問題はありますが、誤用が広まって現在では正しい事になってしまった言葉なんて
いくらでもありますし、50年後の国語の教科書には、もしかしたら
「受け身・自発・尊敬は〜られるで、可能は〜れる」なんて書かれていて、
一部の年寄りやうるさ型が「実は昔はらを抜くと怒られたんだよ」なんて孫に
語っている・・・なんて言う時代が来るのかも知れません。
とはいえ、まだ今の段階で高速道路の標識に「でれません」は早過ぎですけどね(^^;
しかし、この件にしてもよくVOWなんかに投稿されている「トマレ」が「トレマ」に
なっている例などを見ていて思うんですけど、書いてて気づかないんですかね、アレ?
ノートに走り書きでメモするのと違って、路面に文字書くなんて
結構時間掛かるでしょうに、その間に誰か気付けよ、と(^^;